これがベトナム大学院の実態だ!

Trường Đại Học Bách Khoa Thành Phố Hồ Chí Minhの大学院修士課程に社会人入学

Hệ cơ sở dữ liệu nâng cao試験問題

Học kỳ 1/2017-2018の巨悪ともいえるHệ cơ sở dữ liệu nâng cao。ダメもとで成績に異議申し立てはしたがもうこれ以上悪くなりようもないので試験問題をアップしてしまおう。f:id:k4h8:20180522112958j:plainf:id:k4h8:20180522112952j:plainf:id:k4h8:20180522112957j:plainf:id:k4h8:20180522113000j:plain
f:id:k4h8:20180522112942j:plainf:id:k4h8:20180522112955j:plainf:id:k4h8:20180522112949j:plainf:id:k4h8:20180522112947j:plainf:id:k4h8:20180522112945j:plain
しかし、複数ファイルを一気にアップってできないんだな。1個選ぶたびにダイアログが消えて、また予備出さなくてはならない。
もともと写真ばかりのアメーバなどとは一線を画す存在なのかもしれないが。

Học kỳ 3/2017-2018の登録始まる

本日2018年5月22日より、Học kỳ 3/2017-2018の登録受付が始まった。
登録はいつものようにインターネット上から特設サイトにて行われるので学校に行く必要はない。
Học kỳ 3/2017-2018の開始日は2018年5月22日(月)だ。これは1つ前の期であるHọc kỳ 2/2017-2018の14週目に相当する。
ということは実質Học kỳ 2の追加登録のようなものだ。それに、Học kỳ 2の試験期間とHọc kỳ 3の授業期間がかぶっているので、受講は難しい。
そもそも授業と試験がかぶったら試験を優先せざるを得ないだろう。
登録できる科目もTriết họcとĐổi mới sáng tạo & Khởi nghiệpの2科目しかない。
Triết học(3単位)…火・木・土の週3回×5週=15回
Đổi mới sáng tạo & Khởi nghiệp(2単位)…日曜日のみの開講だが早朝から夕方まで拘束される(教員側も大変だ)×3週

このうちTriết họcはHọc kỳ 2で受講しているし、試験日とHọc kỳ 3の授業日が同じである。
また、Đổi mới sáng tạo & Khởi nghiệpは研究中心コースの場合必修ではない。感覚的に座学コースの人数が多そうなので、当授業も人数が多いと推測される。大人数の授業は必修でない限り取らないほうがいいだろう。

いよいよ害虫殲滅に乗り出す

いつもながら悪名高いとか時間の無駄とか極めて不名誉な枕詞のつくNguyên lý ngôn ngữ lập trìnhであるが、授業が終わり疲れながら帰っていると、ふと後ろから声がする。こちらを呼んでいるようだ。
振り返ると同じクラスのトルコ人学生であった。彼もまたこの授業に苦しめられているようだ。
彼から、「この授業をどう思う?」と聞かれた。「単位取得を含めいろんな意味で難しいクラスだ」と答えた。
すると彼から思いがけない提案が。「Vice Deanに手紙を書いて、現状を相談しよう」
Vice Deanに相談したぐらいで現状が変わるのかは分からないが、彼は俺より1年先に入学している。
この学校は随時入学できるうえに初授業のタイミングもまちまちなので学年という概念はないが、学生番号の上での入学年度では俺の1年前であり、学内の仕組みにも俺よりは詳しいはずだ。
なので、ひとまずはこれに賭けてみることにした。
そもそも俺はVice Deanの顔も名前を知らないが、少なくとも彼は名前だけでも知っている。
その後彼からVice Deanと俺宛にemailが来たが、実は彼はVice Deanにあったことがないことが分かった。
また、他の学生であれば入学時に説明会のようなものがあったようだが、外国人の学生である我々にはなかったということも書かれていた。
そういえばアメリカ大学院留学ブログなどを見ると、困ったことがあればVice Deanに相談というのは常套手段のようだ。
昨日害虫駆除のブログを書いたばかりだというのに、その日のうちに思いがけない所から救世主が現れるとはありがたいことである。
このトルコ人級友とVice Deanの力が最強の殺虫剤となりえる。

待ってるだけではだめで殺しに行こう

いつもながら悪名高いとか何言ってるかわからないとか極めて不名誉な枕詞のつくNguyên lý ngôn ngữ lập trìnhであるが、前にも書いたかもしれないがさながら高校の物理のようである。
高校の物理はほっかむりをかぶって全力で駆け抜けたというか、そもそも台風が過ぎるのを待っていたという方が正確だろう。
台風に対して人間は攻撃を仕掛けても無駄だ。それよりも何もせず待っていれば向こうからいなくなる。
なので、高校の物理はやり遂げたというよりやり過ごしたということになる。
ただ、Nguyên lý ngôn ngữ lập trìnhの場合は待っていても解決しない。害虫駆除と同じで、待っていも害虫がいなくなるわけではないので、こちらから積極的に殺しに行かなくてはならない。
くしくも害虫駆除は英語でdebugという。文字通りプログラムのソースコードのバグを発見して修正するわけだ。
先週末をもってNguyên lý ngôn ngữ lập trìnhの課題3の締め切りが終わった。
本来なら授業も第10週となる先週で終わりのはずだが、角刈りの余計な署名活動のせいで再来週まで延長となっている。
Học kỳ 2/2017-2018はどの科目もまだ1回も休んでいないし、今後もよほどの体調不良がない限り休むつもりもないが、Nguyên lý ngôn ngữ lập trình授業ではなくは苦行だ。

日本の部活動至上主義に思う

本の学校の場合、授業を受けに行っているというより部活をしに行っているという方が正確だろう。
中高だと部活強制、大学に入るとサークルと呼ばれるが中身は同じだ。ただ、大学の場合必須ではない。
ただ、中高で部活動至上主義に毒されたからか、みんなサークルに入る。
でも、これは意外とありがたかったかも。
高校に入ると授業が難しくて何を言っているのか分からないが、気分転換というか学校の存在意義として部活は有効だ。
大学でも授業と授業の合間に部室に行ったり、そもそもサークルをしに学校に行っていた感が強い。
いずれにしろ部活やサークルがメインで、授業はおまけのようなものだ。
ただ、先輩から教科書や授業のやり口を聞けるのでサークルに入ることで授業が有利になる一面もあった。

さて、これは大学までと大学院からの違いなのか日本と外国の違いなのか不明だが、ベトナム大学院では部活やサークルの類はなく、純粋に授業を受けに行っていることになる。
日本での学生生活と違い、授業がメイン。
大学生協や各種設備もなく、夜には閉まるコンビニや売店があるぐらいだ。
一切の気分転換がなくつまらないが、学校というものは本来はこうなのかもしれない。
日本の部活動至上主義に毒され続けた違和感はまだ抜けそうにないが。

外国の大学院の安心パック補足論

前回安心パック論について書いたが、そもそも自動車学校の場合の安心パックとは何か詳細を見たところこのようなものであった。
・通常料金に1万円を上乗せする代わりに何十万円という追加料金を取らないという保険のようなもの
・追加料金を取らないだけで、追加教習はある。
つまり、金で時間を買っているわけではなかった。
いずれにしろ普通免許とか文字通り普通に何十万円という追加料金を取られるので、たった1万円でそのムダ金を取られずに済むのだからAUI盗難保険のようなものだ。
一応年齢ごとに安心パック保険料は違い、24歳までが1万円、その後逓増し、50代だと10万円超えだが、そもそも追加料金は10万円ではすまない上、そもそも普通免許は高校卒業か、遅くとも大学在学中に取る物なので絶対に入った方がいいだろう。

さて、大学の単位についての安心パックも同じ理論であれば金の節約になるだけで時間は節約できないことになる。
ベトナムの場合授業料は安いので、金の節約は考えなくていい。
ただし1回の授業が2時間半。日本だと1時間半。あと駐車場を間違えると出庫に異様な時間がかかり、たった1コマ受けるのに莫大な時間の無駄になる。
特に夜の西門の混雑は異常。同じクラスのトルコ人が南門を利用しているのを見て、その後自分も南門派だ。

外国の大学院で有効な安心パック

よく、日本の大学は入学は難しいが卒業は簡単、外国(とくにアメリカ)はその逆と言われる。
厳密には多少の例外はあるが、99%の大学はそうなのだろう。
自分の場合は日本の大学とベトナムの大学院の比較なので、学部と院の違い、日本と外国の違いがそれぞれ合わさったものになる。

具体例として、日本の大学ではまともに通っていれば(欠席が4~5回ぐらいなら)単位を取得できる。
実際、大学4年間で必修科目の単位を落としたのは英語ぐらいだ。理由はほとんど出席しなかったからかな。
その他の科目は欠席を5回以内にとどめ、単位習得に至った。
その他、1回も出席しなかったので落とした科目はたくさんあるが、基本的に出席の方が多い科目は単位習得している。
結果として、授業に出れば単位取得も同然。さらにラッキーなことにほとんど出席していないのにボーナス科目として単位取得できたものもある。
分類すると
1. 出席して単位取得→わかる
2. 出席しないのに単位取得→ボーナス
3. 出席したのに落ち科目→こんな理不尽なものはない
4. 出席しないで落ち科目→自業自得

さて、ベトナムの大学院の場合は
1. 出席して単位取得→とは限らない
2. 出席しないのに単位取得→ありえない
3. 出席したのに落ち科目→こんな理不尽がまかり通る
4. 出席しないで落ち科目→自業自得

2番の出席しないのに単位取得はさすがに日本が甘すぎかと思うが、3番の出席したのに落ち科目というのが普通に存在する。これは日本ではまずありえない光景だ。普通は平常点があるからね。
1科目の授業料が1万円~2万円ぐらいというのが救いか。それでも2度3度登録することを考えると決して安いとは言えない金額ではあるが、アメリカ大学のように1科目の授業料が20万円というのよりはましだろう。
いずれにしろ同じ科目に何度も何度も金を払うのは無駄だ。そこで単位保障というわけだ。
一部の自動車学校では規定以上の料金は頂きませんというところもある。安心パックというらしい。一応落ちた分の郷愁はあるが、定額保証だ。あるいは液晶ディスプレイのドット抜け保障にも似ている。
つまり授業料の1.25倍を払うことで確実に単位が取得できるというわけ。
これだったら1.5倍払ってもいい。落ちたら2倍取られるからな。
日本人からすれば授業料の2倍を払ってもいいから単位保障ありの安心パックがあれば時間が節約できるのはもちろん、結果として金の節約にもなる。
時は金なりというが、金で時間を買うわけだ。一見すると金で単位を買っているように見えて、実は買っているのは時間ということになる。

日本の大学のGPAはどのぐらい?

ベトナム大学院に入学する際日本の大学の卒業証明書や単位習得証明書のベトナム語翻訳版を要求されるが、ここで関連してアメリカ大学院に入学する場合、GPAという言葉がよく聞かれる。
何やら難しそうな言葉だが、平たく言えば平均点だ。高校生なら評定でもいい。まあ、普通に平均点と言えばだれでもわかる。
大学の場合100点満点だが、これを4点満点に換算する。
もっとも単純に25で割るわけではなく、このような計算式があるようだ。
ページタイトル| 日米教育委員会 フルブライト・ジャパン
大学の英文成績証明書を発行すると、アメリカの5段階評価欄と同じ区分けであることが分かる。
ただ、S、A、B、Cとなっているので読み替えは必要だが。
自分の場合必要単位数124単位に対して132単位習得していた。単位を落とした場合に備えて多めに登録していたのだ。結果として8単位多く取得したことになる。
インターネットの掲示板などをみるとたった2単位足りないばかりに留年となってしまった嘆きの書き込みもある。
この人がギリギリの登録だったのか、それともかなり多めに登録したが軒並み落としたのかは分からないが、もし単位売買制度があったらこの8単位で救済できる人がいたかもしれない。

さて、この132単位にS=4、A=3と順に重みをかけてくと404点。
これを132で割ると2.257575758であった。
一般的には小数点以下2桁ぐらいあればいいので、GPA2.26となる。
ここで日本独自ルールがあり、SとAと統合して日本版A=4とするのもあるようだ。
この場合採点店は2点だから、大幅な底上げが可能。この場合GPA=3.06である。日本とアメリカの成績制度の違いを利用した得点アップ術だ。

ここで気になるのが、日本の大学で成績証明書=単位習得証明書である。
つまり、落ちた科目は記録に載ってこない。
アメリカ式に落ち科目も正直に申告しようにも、大学側が落ち情報を提供しない。
なので成績をよく見せようとねつ造するつもりはさらさらなくても、GPAの最低点は1.0点か2.0点である。
アメリカ大学院にはGPA2.0点が必要なので、日本ルールで計算すれば大卒なら自動的にアメリカ大学院出願要件を満たしてしまう。
自分の場合落ち科目が何科目だったかは今まで食べたパンの枚数を聞かれるようなものだ。卒業式の日に配られた成績表を引っ張り出してくれば分かるかもしれないが。
仮に登録単位数を300単位とすると、アメリカ方式GPAは0.99となる。
まあ、落ち科目なんて過去の話だし、落ちた科目を引きずってくよくよするよりも、未来に向かって前を向こうという意味では成績証明書=単位習得証明書であり、落ち科目情報を載せない日本の大学に軍配が上がる。

ベトナム大学院での教科書代は?

日本の大学では教授が書いた教科書が数千円のぼったくり価格で大学生協で売られており、半年か1年でごみと化す。
実際には捨てるんじゃなくて後輩にあげたりするから、自分も先輩からもらって無駄な金を節約することもあった。
さらに、アメリカの大学では教科書が1冊数万円だそうだ。

さて、ベトナムではどうか?
一応教科書らしきものはあるが、先生の手作りのパワーポイントファイルやそれをもとにしたPDFが配布あるいは勝手にDLという場合がおおい。
まれに専門書のPDFファイルをネットからDLする場合もあり、日本の著作権法の及ばない国ならではの節約術だ。
そしてこれは年に1教科か2教科だが、教科書が必要な場合もある。
しかし値段は日本円換算で100円か、どんなに高くても200円程度である。300円以上になることはない。
むしろ下手な喫茶店でコーヒーを飲むより安いぐらいだ。
一応教科書の著者はその科目の先生となっていたが、決して金儲けではなく、むしろ紙や印刷コストを考えるとほぼ原価ぐらいだろう。
これは国全体が教育に対して支援しているということだろう。本来日本もこうあるべきだ。
ただ、教科書は安いがあくまでも機材は持ち込み。
日本の大学と違い一人に1台のPCはないから、自分でPCを買って持ってくる。必然的にノートPCになる。
自分が大学の時は入学当時はPCを持っていなかったから、大学の教室や自習室のPCで練習した。
3年ぐらいになって親のおさがりをもらったが、それでも専門的な研究は大学のPCだ。
そこへ行くと物価の安い=所得の安いベトナムでノートPCを買い、さらに破損や盗難のリスクが高い環境で毎回持ち運ぶというのは本当はやりたくないが仕方なくやっているに過ぎない。
一応スペックとしてはインターネットに接続でき、PDFが開け、JavaやSBTが動けばいいので最新モデルである必要はない。Windows7が動くぐらいのマシンでも使いようによってはなんとかなるだろう。
ただ、毎回持ち運ぶことを考えると、軽くてかつ頑丈なマシンというのが条件になってくる。
他の学生を見ると、薄型で値段の高そうなものを持ってきている者もいれば、相当重そうな、古くて壊れかけのものを持ってきている者もいる。
盗難のリスクを考え、学校ではできるだけ古いマシンを使いたいところではあるが、古いマシンの場合バッテリーが授業中にもたない可能性もでてくるので難しい所だ。

留学はなぜつらい?

ヤフー知恵袋や類似のQ&Aサイト、あるいは留学生のブログなどを見ていると、かなり大変で、精神的に追い込まれている人が散見される。
以前も当ブログにて留学と自殺の関連に関して述べたが、そもそもなぜ留学がつらいのか?

例えば青年海外協力隊などは途上国で周りに日本人が一人もいない状況で2年間ほぼ放置されるが、別につらくないし、精神的にはむしろ日本にいた時より安定していることが多い。
実際、任国に行けば外交特権を受けるし、配属際に行けば指導者や専門家として扱われ、頭を下げられる立場。しかも金もらえるし。一応JICAボランティアという名前だが、これは任国や配属先にとっては金をもらわずボランティアで働いているということであって、日本政府からは下手な大卒初任給以上の金をもらっている。そりゃそうでしょ。誰も行きたがらない所に日本人一人で2年間過ごすんだから。
とはいえ周りに日本人が誰もいないという環境は体験したことのない人にとっては不安に思えるかもしれないが、実際やってみるとやりたい放題、快適なことこの上ない。しかもこちらが頭を下げる場面は皆無であり、周りがこちらに頭を下げることがほとんど。仕事もほとんどなく毎日遊んで暮らせ、さらには十分な金がもらえる。交通費も家賃も無料。これで楽しくないはずがない。
一応名誉のためというか語弊があるので付け加えると、仕事がなくぶらぶらしていいということではない。これは任国ひいては配属先に日本のプレゼンスを示すというのが仕事というだけのことであり、つらい重労働や長時間拘束のようなものがないという意味である。よく言えば天皇陛下の慰問、悪く言えば客寄せパンダのようなもので、遠く日本から来た青年海外協力隊の人間がそこにいる、毎日配属先に顔を出している時点で十二分に職務果たされている。もちろんそこで具体的な作業をすればもっといいが、義務ではない。たまに配属先の人から作業を依頼されるが、単純作業はなく、全て日本の技術を使わなくては解決できないような高度なものばかりであり、こちらを高く見ているというのがうかがえる。ここで頼りになるところを見せれば、それこそ以後遊んでいても何も言われず、いるだけでありがたがられる存在になれる。ただ、新卒で青年海外協力隊になってしまった人などはお互いに不幸で、高度な仕事はできず軽視されるか雑用係止まりというケースも聞く。
中にはしたたかな人がいて、2年間配属先にはほとんど行かず、自宅で教員採用試験の勉強をひたすらやり、帰国後教員になった人もいる。これは配属先に行っていないので本当はアウトである。しかし、別に勤怠管理もないし、2年間配属先に行かなかったことは黙っていればばれないので本当に要領の良い人だと思った(隊員総会や報告会を欠席するとマークされるが)。はたから見れば協力隊から帰って学校の先生になったわけだ。「協力隊を活かして教員になった」とだけ言えば、協力隊の経験から教員を目指すことになったのかと聞き手が勝手に解釈するわけだし。
余談だが2018年度の隊員ハンドブックにおいては株取引の禁止と書いてあった。これなどなおさら黙っていればばれないことである。

で、留学だが、交通費、授業料や家賃など合わせ全部自己負担。また、留学生に頭を下げる人はおらず、学生が頭を下げる立場。こちらは金を払っている側なのに。
そうなると、青年海外協力隊とは雲泥の差というよりむしろ真逆の待遇であろう。
青年海外協力隊で得られる純利は200万円だが、その間の生活費が無料なので実質日本に住んでいれば所得600万円ぐらいに相当するだろう。
それが留学だと同じかそれ以上の金が吹っ飛ぶ。にも拘わらず快適さはゼロ。
協力隊から帰国しイギリスの大学院に留学し、1年で修士の学位を取り国連など国際公務員を目指すというのが定番のコースだが、実際イギリスの大学院に留学するのも楽ではないようだ。自殺までいくのは極端な場合かもしれないが、協力隊の快適さとくらべるとやってられないというのが実際のところだろう。
やはり留学というのは身分の不安定さもさながら、ストレスの多い環境だと思う。

ここでやっと話がベトナム大学院につながるが、留学ではなく、会社が休みの日を利用して通う社会人入学というのは非常においしいやり方だと思う。
留学生だと社会的立場も特権もないが、一応社会人ということで周りの扱いも違う。また、先生とも同年代ということで文句も言いやすい。
また、大学でストレスを受けることがあっても大学に行かない日の方がはるかに多いのでストレスをため続けるということは避けられる。
ただし当然、会社と大学の両立による時間的制約、忙しさはある。
まあ時間も自由でストレスの蓄積もないといううまい話というかいいとこどりはできないので、どっちを取るかということではあるが。

Nguyên lý ngôn ngữ lập trình恐怖のassignment3

いつもながら悪名高い等の不名誉な枕詞のつくNguyên lý ngôn ngữ lập trìnhにおいて、assignment3が課された。
やはり提出はいつもの通り特設サイトから。
http://www.cse.hcmut.edu.vn/onlinejudge/
前回のassignment2のように指示通りやるとエラーになるという始まる前から終わってる(教員側の)不手際はないようだ。
デフォルトでも提出すれば1点にはなる。

package mc.checker

import mc.parser._
import mc.utils._
import java.io.{File, PrintWriter}

//import mc.codegen.Val
import org.antlr.v4.runtime.ANTLRFileStream
import org.antlr.v4.runtime.CommonTokenStream
import org.antlr.v4.runtime.tree._

import scala.collection.JavaConverters._

class StaticChecker(ast:AST) extends BaseVisitor with Utils {
def check() = visit(ast,null)
//override def visitProgram(ast: Program, c: Any): Any = throw BreakNotInLoop
override def visitProgram(ast: Program, c: Any): Any = {
throw BreakNotInLoop // Testcase 14
}
}
Compiling
Running
Testing
Testcase 1: FAILED
Testcase 2: FAILED
Testcase 3: FAILED
Testcase 4: FAILED
Testcase 5: FAILED
Testcase 6: FAILED
Testcase 7: FAILED
Testcase 8: FAILED
Testcase 9: FAILED
Testcase 10: FAILED
Testcase 11: FAILED
Testcase 12: FAILED
Testcase 13: FAILED
Testcase 14: PASSED
Testcase 15: FAILED
Total: 1

これによるとTestcase 14を満たす。
残りのテストケースも満たせればよいのだが、この授業内容でそれできるようになるよりはらくだが針の穴を通る方がもっとやさしい。

Windows10更新と強制Homeを避ける方法

何もベトナム大学院に限った話ではないが、2018年4月にUbuntuの最新版18.04が出て、さらにWindows10も日付が変わって5月になるギリギリ直前に2018年4月版が出た。
ここでWindows10をクリーンインストールして授業に備えることになるが、2016年以降に製造されたPCの場合、インストール時にエディションが選べず、強制的にhomeが入る場合があり問題になる。もちろん強制的にProが入る場合もあるだろうがそれは問題にはならず、むしろ選択の手間が減って逆に便利である。
このからくりについてはBIOSにWindows10のエディション及びプロダクトキーが書かれているというものであり、下記リンクに詳しい。
Creators UpdateのISOファイルからWindows10 Proのインストールメディアを作成 - パソコンりかばり堂本舗
BIOSに書かれているエディションを変えることはできないようだが、インストールメディアを変えることができるようだ。
厳密には上記リンク参照だが、簡単に書くとインストールUSBメモリがHドライブで、余力があるSSDやHDDがEドライブだとしたら、コマンドプロンプト
DISM /Get-ImageInfo /ImageFile:H:\sources\install.esd
とし、Proが3番だったら、
DISM /Export-Image /SourceImageFile:H:\sources\install.esd /SourceIndex:3 /DestinationImageFile:E:\work\install.esd
と入力。
ここでEドライブにできたinstall.esdをUSBメモリに上書きするというもの。