これがベトナム大学院の実態だ!

Trường Đại Học Bách Khoa Thành Phố Hồ Chí Minhの大学院修士課程に社会人入学

Nguyên lý ngôn ngữ lập trình / Assignment 2

悪名高いNguyên lý ngôn ngữ lập trìnhにおいてAssignment 2が課された。例によって特設サイトhttp://www.cse.hcmut.edu.vn/onlinejudge/での提出である。
これは以前行われたAssignment 1で満点を取ったことを前提としており、そうでない学生の場合はこの時点でアウト。これに気付いたのは提出期限数日前であった。
たまらず抗議したが、これに対する回答は、「Assignment 3はAssignment 2以前とは関連のないものにする」であった。
また、以前のアシスタントを紹介するといい、電話番号を渡された。その場でアシスタント氏に連絡するも、彼からの有効な連絡があったのは提出期限をとっくに過ぎてからであった。
もっとも今回の提出期限に間に合わなくとも、半年後もしくは来年の再履修に備えて解答が得られれば良い。もちろんベストは今回の提出期限に間に合うことであったが。

さて、Assignment 2があまりに無理ゲーにも拘わらず、特設サイト上では満点やそれに近い得点者が目立つ。
不審に思ってベトナム人に相談したところ、結局は他の学生のソースコードをコピーしているだけだそうだ。それなら高得点で当たり前。謎は全て解けた。お前らのやってることは全てまるっとどこまでもお見通しだ!
なんだか、往年の小保方晴子のようである。
しかし、中には真面目な学生もいる。どうやら俺はその真面目な学生たちのグループに(いい意味で)入れられてしまったようで、課題の進捗についてよく話したが、彼らは他人のソースコードをコピーすることなく、自分の力で立ち向かっていた。

そもそも、この悪名高い授業Nguyên lý ngôn ngữ lập trìnhだが、なんだかよくわからないという点においては高校の物理のようである。最初につまづくと後ずっと分からない。そういえば高校の時は物理が最初から最後まで結局分からなかったし、当然定期テストの点も悪かったのだが、留年した記憶がない。追試もなかったように思える。一応授業自体は休むことなくほぼ毎日通っていたので出席による平常点が考慮されたのかもしれない。もっとも、クラスの大半が物理を分からなかったわけだから、杓子定規に成績を付けるとみんな留年で大変なことになるので、下駄をはかせたのかもしれない。そう考えると高校の授業は後に残るものが何もないという意味では時間と労力の無駄な科目が多かったと思う。
大学に入ってよかったのは物理も化学もなかったことだ。残念ながら数学からは逃れられなかったが、何気なく母校の公式サイトを見たところ、今は数学系の科目も必修ではなく選択科目となっていた。まあ数学も仕事で使わないからやってもやらなくても同じだしね。むしろMVCモデルとか大学でしっかりと教えたらその後の人生が大幅に楽になることだろう。
そういえば俺の代でも大学2年生からは数学系が選択科目になったけど、意外と穴場だったな。
何せ、駅のホームぐらいの広さの教室に学生が5人だけ。相当な不人気科目だ。俺以外の4人は教員免許取得に必須だから仕方なく履修していたクチだ。
先生も契約を切られてはたまらないから相当わかりやすく教えたのだろう、特に苦労なく単位習得、しかも満点に近い成績だったと記憶している。
2年生までで必要単位がほぼそろったので、3年生以降では必修科目と研究室に注力したように思う。
もっとも2年生か3年生か忘れたが、COBOLCASLの授業があった。どちらも全く分からずじまいだったが、なぜか単位習得に至った。これも出席による平常点か。幸か不幸か今のところ仕事でCOBOLCASLも使わないので助かっている。
逆に、Javaの授業はもっと真剣に受けておくべきであった。
UNIX/Linuxの授業は手前味噌ながら真面目に受講したと思うが、これは社会人になってもほぼ必須スキルみたいなもんなので結果として大学の授業料の元は取れたといえるかもしれない。
欲を言えばDB系の授業がなかったのが悔やまれる。今年時点のシラバスではデータベースの授業があるようなので、今の大学生はラッキー。

さて、話を戻し、本題である同科目の課題に対しては、何が分からないのか分からないといったレベルである。
日本の大学の先生が書いている発声練習というブログで、「質問というのは自分が何が分からないのかを把握していて初めてできることである」という趣旨の記述があった。
http://next49.hatenadiary.jp/entry/20081022/p2
また、「今時はその程度であればググればすぐわかるのでわざわざ教員に質問しない」ともあった。
つまり、「質問の必要性がある場合というのは、何が分からないのか分からないので質問しようがない場合である」ということだそうだ。
確かに、例えばプログラミング言語scalaの内容そのものがよくわからなければググった方が早い。わざわざ質問しないよね。
同ブログでは、「『何か質問がありますか?』ではなく、『助けが必要ですか?』という言い方が的確である」とまとめていたが、今まさにその心境である。
先述のアシスタント氏の手助けにより課題は解決するのだろうか。