これがベトナム大学院の実態だ!

Trường Đại Học Bách Khoa Thành Phố Hồ Chí Minhの大学院修士課程に社会人入学

3月度ベトナム語試験 リーディング2

(1)大学村のなかでかわいく美しい方であろう、女学生カン・トは実に素早く喜んでバスを迎えた。学校が終わると、またも実に素早く寄宿舎へ帰っていき、とある喫茶店へと向かった。トはここで店員の仕事をさせてもらえないかと頼む、
「仕事があるのはありがたい」トは笑う。
(2)フワン・テ・アンは階段のそばに座り、自身の幼女であるカン・トのことを洗いざらい話しはじめた。
「あれは自分らがクアン・ビン(地名)で子供たちの手を取って南部生活に入った日のことだった。家を借りたのはビンユーン省イアン村で、工員たちの住む地域だったよ。集落の工員たちが時々やってきては、おしゃべりをして、タコ部屋時代の憂さ晴らしをしたものだったよ。ある日、一人の女が集落を出て行ったかと思うと、戻ってきて私の家の前にスカーフで包まれた何かを置いていった。開けてみると、その中には一人の女児と一通の手紙があり、そこにはこう書いてあった。『この子を育てるのを手伝ってください。この子にはカン・トと名付けました。』」
(3)赤ちゃんはかわいかったけど太っていた。私は赤ちゃんを抱っこし、すぐ飲めるようにミルクをこしらえた。他の小さい子供たちも交代で赤ちゃんを抱っこした。そういうわけで、私は突然養女を育てることになったのだ。私の夫の名前はタイ・フワン・トだったから、赤ちゃんの名前はタイ・テ・カン・トになった。小さいときはビンユーン省に住んで半日学校に行き、残り半日は宝くじを売らせてもらった。集落の周りで子供に宝くじを売らせるのは大変だった。宝くじが全部売り切れた後は我々はここファン・テッてと流れてきた。トは私がサトウキビ水を売るのにまたしてもくっついてきて、その隣で宝くじを売った。3年生(あるいは高校生?翻訳困難)になることには、トはムイネで仕事を探した。職種はパン売り、ウェイトレス、リゾートバイト、お一人様ツアーのガイド等・・・。トは勉強がよくできか