これがベトナム大学院の実態だ!

Trường Đại Học Bách Khoa Thành Phố Hồ Chí Minhの大学院修士課程に社会人入学

きっと誰も来ない 一人きりのMạng máy tính

2019年11月22日、Mạng máy tínhの授業12回目が実施されるはずであり、40分ほど遅れて教室に向かった。
が、どの教室も真っ暗。清掃員が言うには授業はないという。念のため階段を上がるも、やはり階全体が真っ暗であった。
この日はいつもの先生がおらず、代わりの先生が担当するとは聞いていた。
が、それすらも来ず、休講(日本の大学における休講ではなく、実際には単なる後倒し)になったのだろうか?
仕方なく階段を降りると、代わりの先生と思しき姿が。彼によると18:30まで待ったが誰も来ないので帰ろうとしたとのことである。
それにしても、学生は自分以外誰もいない。
授業をやるかやらないかが危ぶまれる中、その代わりの先生はいつもの先生に連絡し、数分待った結果、本日は学生が自分1名しかいないので授業は行わないということになった。
こんなことであれば、最初から来ないほうがよかったな。いつもの先生が来ないという時点で出席に影響はなさそうだったし、この日は出だしが遅れたので休もうかなと思ったのだが、ちょうど昼頃にマスクを買って袋も切ったのでせっかくだから行こうということになったのだが、その必要はなかったというわけだ。

仕方ないから帰ることにしたが、漫画とかだとこういう時に事故にあったりする。いわゆるフラグが立ったというやつだ。
なので帰りは慎重に(いつも慎重にならざるをえないが、いつも以上に慎重に)移動を行った。
CMT8に出ると、普段の帰り道よりも混んでいる印象を受けた。
そして、あのグノレグノレではもはや恐怖感しかない。
いつもは帰りが20:30とか21:00とかだからわからなかったが、19:00前後のここは本当に怖い。
早く通り抜けたい気持ちとともに、何度もぶつかりそうになりながらも事故にあうことなく無傷でDBPへ。
さすがにCMT8のような革命どころか暴動レベルの無様はないが、途中混んでいることには変わりはない。
むしろここでほっとして気を抜くと事故にあうかもしれないので気は抜かないようにした。
なんとかDBPのPまで来た。もう信号はない。
ただ、この安心感が隙になり、事故にあうかもしれないのでまだ気を抜かないほうがいい。
そこから自宅まではいつも通りなんの問題もなかったが、最後の最後、自宅の敷地、と言ってもベトナムではご多分に漏れず狭い集合住宅であるが、そこにバイクがぎっしりになっており自分の分を置くのが面倒だったぐらいか。

こうして、無傷で帰宅できたが、自室の床にあった風船を蹴ろうとしたときに膝に激痛が走り、歩くのがきついほどに。
さらに、この文章は翌日の朝に書いているのだが、まだ痛みがある。
おそらく、本来なら行く必要のなかった悪夢の危険地帯を無傷で通り抜けることで運を使ったというか、本来なら暴動地帯で怪我をしていたかもしれないところを助かったことの表れなのかもしれない。
さて、本日も別科目があるが、昨日の今日だし大事をとっていかないほうがいいかもしれない。