これがベトナム大学院の実態だ!

Trường Đại Học Bách Khoa Thành Phố Hồ Chí Minhの大学院修士課程に社会人入学

Phân tích thiết kế giải thuật資料入手!

今回から新しいカテゴリーが追加。
実は来期というかむしろ来年度であるHọc kỳ 1/2019-2020に開講されるであろう専門必修4科目15単位のうち、Phân tích thiết kế giải thuậtを受講した友達から資料をもらった。
同科目の決まり字はPhanTichTである。
同科目の担当教員はNhận dạng mẫu và học máyと同じ。つまり事前に資料をもらっておけば試験も余裕。そもそも授業に出る必要がないほどだ。
さて、資料はスライド(英語版とベトナム語版)と章末問題があった。
この章末問題の答えを事前に作っておいて、試験の日に持参し、あとは同じことを答案用紙に書き写すだけの誰にでもできる簡単な軽作業だ。

これで資料未収集の科目は
Cấu trúc dữ liệu và giải thuật
Mạng máy tính
の2つとなった。
前情報によるとMạng máy tínhは簡単らしいが、そもそも絶対的に簡単なのか、あの悪名高いNguyên lý ngôn ngữ lập trìnhに比べれば多少ましというレベルなのかはわからない。
Mạng máy tínhは今年度の受講者が8名と異様に少なく、知り合いが受講していなかったので情報がない。
内容的にもTCP/IPだったらそもそも考えるような内容はなく、単なる暗記なので大したことはないだろうと思いたいところだ。
Cấu trúc dữ liệu và giải thuậtは昨年度、というかむしろ2年近く前に要領よしお君が受講していたようなのでなんとか資料をもらいたいところだ。

もしも日本の大学院に行ったら?

歴史にもしもはないといわれるが、2014当時考えていた1年で修了できるといわれるイギリスの大学院でさえなく、日本の大学院に行ってたら?

TGUの場合
種別 科目名 単位
必修 ×人間情報学演習Ⅰ 4
必修 ×人間情報学演習Ⅱ 4
メジャー コンピュータシステム演習 2
メジャー コンピュータネットワーク特論 2
メジャー アルゴリズム特論 2
メジャー 応用情報学特論 2
「メジャー」以外 教育工学特論 2
Ⅰ群 言語コミュニケーション論 2
Ⅱ群 言語情報処理論 2
選択 プログラム言語論 2
選択 データベース特論 2
選択 国際地域論 2
選択 教育社会学特論 2
合計 13科目 30

日本で一番偏差値が高いといわれる東大だったら?
種別 科目名 単位
必修 コンピュータ科学修士輪講Ⅰ 1
必修 同Ⅱ 1
必修 コンピュータ科学修士特別研究Ⅰ 6
必修 同Ⅱ 6
必修 実践英語対話表現演習Ⅰ 1
選択 自然言語処理システム論 2
選択 自然言語処理 2
選択 Webプログラミング言語 2
選択 ハプテイクス 2
選択 オペレーティングシステム特論 2
選択 近似・オンラインアルゴリズムとその応用 2
選択 戦略ソフトウェア特論 2
選択 ソフトウェアのテストと検証 1
合計 13科目 30

実はどちらも13科目30単位。
BKは9科目30単位に研究30単位を足して60単位だからBKが少ないようにも思えるが、日本の場合は演習とか研究とかいうのがそれにあたるだろうから、実質9~11科目になり、TGUが少し多いかな。
いずれにしろ日本の場合は社会人が働きながらではなく、大学の学部を卒業した人がそのまま大学院に入ることを想定しているから、平日(土曜日を含む)の昼間に授業を受けるイメージだろう。
どうしても働きながら大学院に行くのであれば放送大学などを利用することになる。

カンボジアの駐在者殺人事件!?

昨日はJICAの闇を紹介する記事となったが、このところ脂がのってきているように見え、本日は民間へと話が飛ぶ。
お隣カンボジアで駐在員をしている中茎竜二さんと石田礼門さんがタクシー運転手に殺された。良くある事件かと思っていたらなんと逆!?日本人駐在員がカンボジア人のタクシー運転手を殺した!?しかも動機は金目当て!?なんかもうわけが分からない。
駐在員と言ってもピンキリだから金が欲しいのはまだ理解できるが、タクシー運転手は給与の高い職業ではないのでターゲットにすることは通常あり得ない。
普通に考えて地元の大富豪とかを狙いそうなものだが。
また、そもそもなぜ金が欲しいかという理由は、日本に借金があったからだそうだ。
借金を踏み倒すのは確かに良くないが、殺人はもっと良くない。
借金を踏み倒してもさすがにニュースで報道はされないが、殺人事件によって現地カンボジアおよび出身国日本はもちろん、ここベトナムにもそのニュースは伝わってきた。といっても日本語のニュースサイトを見ただけだけど。
つまりは世界中の人がそのニュースを知ることになったわけだ。
そもそもカンボジアに逃げていれば日本の借金からも逃げられるような気がするが。
どうやら常人には理解しがたい領域がここにあった。
7年前のJICAエチオピアの元所長の思考回路なみに理解しがたい。

と、教育とすら関係のない話題のようである今回のニュースではあるが、そもそもこういう事件を起こさないように教育は大事だよと無理やりにも繋げてみる。
いずれにしろ駐在員が殺したり殺されたりと東南アジアの闇を垣間見たニュースであった。
アフリカあたりだと日本人はみんないい暮らし、欧米だとみんな屈辱を味あわされているが、アジアは非常に特殊で、いい暮らしをしている人と屈辱の格差が大変に大きい。
方やアフリカなみの悠々自適がいるかと思えば、今回の殺人事件の犯人のようにその恩恵からは程遠い人もいるのだろう。
特にタイやフィリピンでその傾向が顕著だと聞く。
ここベトナムにおいても差がないわけではないが、多少金持ってる人間でもせいぜい賃貸の、それも集合住宅暮らしである。
自己所有の庭付き1戸建てはアフリカでは普通だがベトナムではまずいない。
恵まれない人でも騙されて連れてこられた20代前半でウサギ小屋を通り越し虫かごレベルの劣悪な環境で暮らしているが、さすがに犯罪に、まして殺人に手を染める人間は聞かない。
日本語教師とか日本語学校の校長とか体のいいうたい文句に誘われてきてみれば月給5万円など絶対にありえない待遇の日本人が散見されるが、大半が20代前半の、しかも世間知らずなので自分が騙されていることにすら気づいていない。
これはある意味では知らぬが仏というか、知らぬが花というところであろう。
そういう人は得てして人の意見を聞こうとしないので、「お前、騙されてるぞ」と親切な助言をしたところで無意味どころか、かえってこっちが悪者にされかねないのであえて何も言わないが。

と、カンボジアの殺人事件から日本語学校とか教育というキーワードまでつながったところでこの辺で。

続「教室はまちがうところだ」

先ほどのエントリ「教室はまちがうところだ」に付け足したい内容があったのでその続編ということで。
そもそもなぜ自分は間違いを恐れる人間になったのか?
ふと思い出したのはエチオピアでJICA所長と初めて会った時のことだ。
時差ボケで眠いのにさらに眠くなる話を聞かされていたが、ふと、「エチオピアのGNPは何ドルか?」と聞かれた。
もちろんそんなの誰にも分かるわけない。
しばらく沈黙が続いたので、仕方なく自分が適当に○○ドルぐらい答えたが、当然当たるわけがない。
するとその所長は別な奴に、「○○ドルなわけないじゃないですか。そうですよねー。」みたいなこちらを小馬鹿にするような言い方をした。
実はこの所長は超絶仕事ができず、さらに性格も悪いため隊員みんなから嫌われており、いよいよエチオピアを出ている段になってガレージセールと称して賞味期限の切れた食べ物を期限のことは知らせず高値で売りつけられたらしい。
もちろん自分のところにもガレージセールの知らせは来たが、当然というべきか行かなかった。
この所長のやばいところは自分に対する態度以外にも、「新隊員の盗難被害防止のため携帯電話ストラップを支給してはどうか」という意見をSV(シニアボランティア)の人が言ったのだが、これを無視し新隊員に自ら買いに行かせたところ、なんと新隊員全員が携帯電話を盗まれて帰ってきた。
これに対しては怒りというよりも失笑というかあきれてものも言えないレベル。
そんなこともあって所長は消えていった。
と、JICA自体が間違いの許されない職場のようであるが、それでいてJICA職員の仕事のレベルは低く、SVの人たちからおしかりを受けるレベルであった。
ある日の夕方、若手のJICA職員があるアンケート調査をメール一斉送信したが、締め切りが翌朝。
多くの途上国は停電やインターネット不通が日常茶飯事だから、そのアンケートにいったい何人が返答したやら。
民間企業だったら絶対にありえないことだ。
そこであるSVが苦言を呈した。しかしこれは指導の類だろう。むしろその職員は感謝しなくてはならない。
青年海外協力隊やSVはJICAボランティアと言われるが、任国の人たちに対してではなく、JICA職員に対する職務指導というボランティアもあるようだ。

しかし、今宿題をやっていて、どうして自分が間違いを恐れるようになったかその原因が分かってほっとした半面、無能な元所長に対して怒りが再びわいてきたので気持ちの整理をつける意味で文章にしたためた。
この数年間自分の中だけにたまっていたものが吐き出せてすっとした。

さて、最後に一応JICAの名誉のために付け加えると、その後来た所長はまともというかむしろ素晴らしい人で隊員からの評価も高かった。
自分の帰国時にこの新所長と面談があったのだが、同じJICA同士であっても帰国面談には襟付きの服を着なくてはいけないらしい。
自分は普通にTシャツで行ったのでそれを同席の調整員に言われたが、いまさら服を変えることもできないので「そうですか」とだけ言って軽く流したし、新所長もせいぜい一言何かいったぐらいでそれ以上ぐちぐち言うことはなかった。
JICAも間違いを恐れることのない組織に変わったのだろうか。
それにしても、エチオピア航空の墜落事故が最近発生したが、それに連想ゲーム風でエチオピアの話につながったのも何かの縁なのだろう。

「教室はまちがうところだ」

授業中のことだったので前回のエントリに含めたかったがなぜか含めてなかったのでこちらに。
実は、2019年3月16日、Xử lý ngôn ngữ tự nhiênの5回目の宿題答え合わせの場において、先生から、「間違いをすることが重要。写真を撮るのは重要ではない。」とような発言があった。
これって、30年ぐらい前に言われた、「教室はまちがうところだ」という言葉だよね。
ベトナムは30年前の日本といわれるが、この概念も30年たって日本から輸入されたか。
なお、「教室はまちがうところだ」という言葉は昔からあったが、同名の絵本が2004年に発売されたらしい。
もちろん書いてある内容というか、趣旨は同じである。
あの悪名高いNguyên lý ngôn ngữ lập trìnhにおいては、そもそも授業中に間違いが許されない環境にあった。
生徒の名前を呼んで当てられるが、正解できそうにないのでそもそも呼ばれても無視して黒板の前に行かないということもあった。
なにせ、正解できるまでずっと黒板の前に立たされるのだ。これはきつい。
そのような完璧主義を貫いても過半数が単位取得できず再履修を余儀なくされる。
自分はこの科目がトラウマになったので今年は再履修せず。
そんなこともあって、Xử lý ngôn ngữ tự nhiênは間違いが許される環境ということにほっとした。

「教室はまちがうところだ」レビュー
「教室はまちがうところだ」のレビュー 桜なみきさんの声 | 絵本ナビ
これを書いたのは自分と同じ40代の人。
>私自身が、子供の頃 間違うのが怖くて、笑われるのが怖くて、ほとんど手を上げられませんでした。
>そして今、小学校に入学して半年になる娘が、同じ状況です。

自分も子供のころというか、40代になった今でも同じ状況だ。
なので、同じような子供というか、大人でも同じ状況の人間は大勢いると考えられる。
やれ国際化だのアクティブラーニングだの言われるが、そんな言葉の概念よりも、「間違って当たり前」という考えを浸透させるのが先だろう。

Xử lý ngôn ngữ tự nhiênの宿題答え合わせにおいても、間違った場合には加点はされないかもしれないが、減点もない。
なので失うものは特に何もないわけだ。
さらに、運が良ければ正解として加点の可能性もある。
ノーリスクでリターンを得られる可能性があるという意味では、ただでできる宝くじのようなものだ。
自分の場合は、間違ったら恥ずかしいという気持ちを克服したというよりは、教室で変に目立ってしまうことよりも、単位を取れない、最大在籍年月の4年で修了できないことを恐れる気持ちが大きい。
なので、「教室で変に目立つのは一時の恥、単位を取れずに4年で修了できないのは一生の恥」を心掛けるようにしている。

さて、せっかく名言「教室はまちがうところだ」を題材としているのだから、もう少しこの言葉を考えてみよう。
間違いを恐れて小声とか、おどおどした態度で発言すると、たとえ正解であってもカッコ悪く見えてしまう。
逆に間違ってるのに大きな声で堂々というと、なまじ正解するよりも印象が良く見える(少なくても生徒の側から見て)。
実はメンタツに拙著が掲載されたのだが、面接の場において、良くわからない答えであっても堂々と言うことで内定につながるという理屈である。
これは万引き犯人にも見られる傾向だ。
万引きを捕まえる店員や私服警官は、キョロキョロ、コソコソしている人間をマークするという。
逆に、堂々としていると捕まらない。
ステッキを持った、身なりのいいジェントルマンと言った風貌のおじいさん。
百貨店のテレビ売り場で若い店員を捕まえて、「きみ、これを下まで運んでくれんかね。」
若い店員は「かしこまりました!」と答える。
店員がテレビを運んでいるわけだから、当然他の店員も全く怪しまない。
かくしてそのジェントルマンは重いものを持つことも走ることもなく盗品を手にする。
上司「馬鹿モーン!あいつがルパンだ!追えー!」

授業でこれが応用できるのがプレゼンテーションだ。
昨年度においてプレゼンテーションで高得点を取ったのもこれが大きい。
何しろ、プレゼンテーションをするぐらいだからそもそも正解とか不正解とかない。
しいていえば他の人と被ったらパクリなので不正解。
つまり、被らなければ正解。
なので、おどおどするべき理由がそもそも存在しない。
実はプレゼンテーション中に延べられる内容自体は間違っているのだが、そもそも他人に指摘できるようなレベルではないので、結局誰も間違いに気づかないという寸法だ。

Xử lý ngôn ngữ tự nhiên 5回目 ついに板書点ゲットだぜ!

2019年3月16日、Xử lý ngôn ngữ tự nhiênの5回目が行われた。
5章のスライド30ページより開始。
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その後chapter 5 exerciseをその場で行うように指示される。
箇所は1.(a)、1.(b)、2.1の3問。
昨年度は宿題はただやっておいてください的なものであったが、今年度に入ってから例を見せるようになった。
そうしないと結局誰もできないか、できる人は去年受講して正解を知っている人ということになってしまうからね。
むしろ今更という気もするが。
もちろん去年は宿題を全く提出できなかった。そもそも答え以前に問題が何かわからない。
そもそも提出すべきものとすら思っていなかった。
去年がこの方式であればよかったのにな。
おそらく、去年はなまじ提出者が多かったのでできない人へのフォローという発想にならなかったのだろう。
これは推測だが、今年になって宿題の提出者が極めて少ないか、提出者はいてもほとんど誰も正解をしていないという現状が分かってきたのだろう。
おそらく昨年の宿題正解者も一昨年の受講者から正解を聞いていたに違いない。
そもそも考えて答えを当てられるという類の問題ではないのだから。

10分後、というかたった10分で上記の3問を全問正解できるわけがないのだが、一応時間が締め切られた。
するとなんとというか、例によって例のごとくというか要領よしお君が躍り出た。
1.(a)の答えを書き始めたのだ。
残念ながら不正解ではあったが、大枠は合っていたようだ。
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その後は当たり前だが時間が短すぎて誰もできないので先生が答えを板書。
1.(b)
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2.1
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なお、この時間で行わなかった問題のうち、1.(c)、1.(d)、2.2の3つが次回までの宿題となる。
2.(b)はやらなくていいようだ。模範解答も持ち合わせていないので助かる。

その後は6章に入った。
あれれ?4章の宿題の答え合わせやらないの?と思っていたが、休憩後の忘れたころに4章の宿題の答え合わせをすることになった。
先生から、今回彼が宿題をよくできていたということを言ったのでこれはチャンス!
ただ、1問目は書くのが大変なので、板書量の少ない2問目を書くことにした。
1問目はまたしても要領よしお君だ。
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これは昨年度の答えとは違うが、どうやら別解のようだ。
自分の板書も多少訂正されたものの、少なくとも問題は間違えていなかった。
完全なる正解にはいたらなかったが8割は当たっていたといっていいだろう。

その後、6章の続き。
この6章は中間試験に出る問題かつ一番良くわからない箇所である。
今まで1日1章のかなり早いペースで進んでいたから、この日で6章全部終わると思っていたが、せいぜいスライドで言うところの15ページぐらいまでだった。
6章は6.2が宿題にも中間試験にも出題され、他は一切出ないのでここを重点的にやってもらえるのはありがたい。
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予定と休講日程が明らかに!

日課として大学公式サイトを確認しているが、本日、新しい仕組みができたことに気づいた。
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以前は何週から何週までという表記だが、実施週を表示する仕様に変更されている。
同時に、休講日程が事前にわかるようになった。これは便利だ。
これまでは、楽しそうな予定に誘われても断らざるを得ず、そうかと思えばその日に突然休講ということがあったが、これで予定が組みやすくなる。
ただ、本来5月25日をもって終了するはずだったのが4週伸びて6月22日まで継続することになったのがきついかな。

VNU-EPT 2月度受験結果

去る2019年2月23日に行われたVNU-EPTの結果が出た。
公式サイトの説明通り試験日から15日後である。
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同じく公式サイトのVNU-EPTとTOEIC等の換算表によると、TOEIC400点クラス。
これは公式問題集等の対策なしでTOEICを受験した時と同じ点数である。
どうやらVNU-EPTはTOIECの半分ぐらいの点数で出てしまうようだ。
これでは、受験料と試験システムのの不備を問わなければTOEICを受験した方が点数は高くなる。
TOEIC800点ぐらいの人ならTOEIC400点換算のVNU-EPT200点と言った具合である。
ただ、TOEICも公式問題集やりこみで点数が倍増するように、VNU-EPTも何度も受験している間に満点の400点近い点数になることは予測される。
とりあえず大学院在学及び修士課程修了に必要な点数さえわかれば、とりあえずその点数さえ取れればよい。

Xử lý ngôn ngữ tự nhiên 4回目

2019年3月9日、Xử lý ngôn ngữ tự nhiênの4回目が行われた。
実は前回の宿題の答えが全くわからなかったので先生に質問メールを出していたが、メールでは回答が難しいのでこの日の3授業開始30分前に来いとのこと。
実際に行って解答を教えてもらったが、残念ながらこの時点では宿題の締め切りを過ぎているので宿題点の加点にはならない。
ただ、どの問題が教科書何ページのどの表なのかを明示的に言ってもらったというのは大きいだろう。

さて、宿題だが、1問目は例によって例のごとく要領よしお君が躍り出た。
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驚くなかれ、正解である。
自分はそもそも答えが間違っているというよりもむしろ問題が何かすらわからなかったのだ。
参考までに別解はこちら。
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そして2問目、先生から何名かの生徒が半分指名みたいな形を取ったが遠慮して誰も出ようとはしない。
ここで自分が行けば間違いなく正解だが、模範解答を知っているので添削という作業が発生しないという意味では自分が行くのはふさわしくないだろう。
結局、一人の学生が板書したのだが、あいにくと不正解。
とはいえ、模範解答と同じ表を書いていた。
つまり、この学生は正解にこそたどり着かなかったものの、問題が何かは分かっていたのだ。
そもそも問題が分からなかった自分と比べれば雲泥の差である。
分かりやすく言えば、おにぎりを作るという課題に対して自分は折り鶴を作っていったようなものだ。
この学生はおにぎりに入れる具が指定と少し違っていたという程度、といえば専門外の人にも伝わるかもしれない。

なお、2問目の正解はこちら。
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しかし、はてな写真投稿は1個づつ指定しなければならず、複数投稿には手間と時間がかかる。
google投稿写真は一度に複数できるようになっているので、ここが改善ポイントか。

この日は5章まで終わったが、この日出た宿題は4章のものだ。
Extend the lexicon in Figure 4.2,slide 12, and the grammar in figure 4.3, slides 13. So that the following two sentences are accepted:
He was sad to see the dog cry.
He saw the man saw the wood with the saw.
Parse two above sentences by Top-Down Chart Parsing.
2. Specify an augmented context free grammar and lexicon for simple subject-verb-object sentences. The grammar only allows appropriate pronouns in subject and object positions and does number agreement between the subject và verb.
Thus it should accept “ I hit him” but not “me love you”

今までは苦渋をなめたが、4章からは念能力、「徒然草あの素晴らしい愛をもう一度)」が使える。
しかもどういうわけか模範解答が教科書の何ページのどの表かもわかるようになり、写真の間違いというか、省略表現のようなものにも目ざとく気づき、より完璧というか画像丸写しではなく、あたかも自分が作った解答のようにも見せられる。
というか、写真の内容と1文字でも変わった時点でもはや自分のオリジナル、自分で作ったといっていいだろう。

Khóa học tiếng Việt 中級クラス受講者に聞く

何かと物議を醸す中級クラスだが、実際に受講している人に直接聞いてみた。
人数はぴったり5名でギリギリ開講が可能になったそうだ。
また、授業は直接法で行われる。つまり説明は全部ベトナム語だ。
これは難しいと感じる半面、拙い英語の説明を聞かなくてよくなったのでかえって理解しやすくなるともいえる。
いずれにせよある程度のベトナム語の能力が要求されることに違いない。
ただ、どうしても理解できない時は英語で質問してもいいそうだ。

さて、今の初級クラスの先生に、今後は初級クラス継続ではなく中級に行きたいと何度か伝えてきた。
そこで先生の提案は、開講を1年も2年も待つのではなく、プライベートレッスンを受けてはどうかというものであった。
当然プライベートレッスンは高いので視野に入れていなかったが、先生曰く同じか安いらしい。
というのも、普通のグループレッスンの進み方は遅いが、プライベートレッスンは自分次第で早く進める。
仮に2倍の速さで進めば、グループレッスンにおける2セメスターを受講したのと同じ。
つまりグループレッスン2期分の内容を習得できるのであれば、授業料がグループレッスン2期分であっても同等である。
実際はグループレッスンの3倍ぐらいいけるはずなので、値段が3倍でも実質同額、むしろ時間や労力という金では買えないものも節約できる。

Khóa học tiếng Việt 公式サイト
Bảng giá học phí 2018
310,000 VND/50 minutes/period
申込最低単位 40 periods
310,000 VND * 40 periods = 12,400,000 VND
実にグループレッスンの4倍。
実際、4倍できるかな?
初級ならいけるけど、中級の内容を規定の4倍でできるか。
中級は1セメスターで2または3章を終える。4セメスターで1冊10章を終える計算だ。
仮に中級1セメスター目として、20日で2章を終えるから、10日で1章か。
4倍の速さなら2.5日で1章を終える。
実際には1セメスターで2または3章なので、2日で1章を終えれば20日で10章。
これで、グループレッスンと金額的には同等。さらに時間と能力の節約だ。
仮に1日で1章を終えられれば20日でVSL3と4の2冊が終えられることになり、中級は完了。
練習問題は授業開始前にあらかじめやっておいて、授業中は答え合わせだけに専念すれば授業中に問題をやるという時間の無駄も防げる。
この場合中級クラス全8セメスターの内容を半額、8倍の速さで習得できることになる。
ただ、予習を完璧にしたいので週1で20週間の日程を組むのが無難だろう。5か月だ。
4月から始めたとして、毎週できるとは限らないので9月まで見た方がいいだろう。
それで10月から始まるBKの必修4科目15単位開始までにどれだけ伸ばせるか。

Xử lý ngôn ngữ tự nhiên 3回目 全学停電!

2019年3月2日、Xử lý ngôn ngữ tự nhiênの3回目が行われた。
この日は駐車場がいつもの電子キーではなく、アナログな紙貼り付けであった。
さらにエレベータも故障。
そして教室に着いて、電気をつけた瞬間に分かった。停電してるんだ。
冷房も使えないから窓とドアを開け放しての授業開始だ。
プロジェクターも使えないから黒板になるが、あいにくとプロジェクター用のスクリーンがおりっぱなしで、かつ電子式なので上げることもできない。
黒板の3分の1ぐらいしか使えないという不便な状況だ。
さらに、夕方になって黒板が見えにくくなってきた。
すると突然電気が付いた!その時間5:30。今更付いても遅すぎる。

幸い暗くなる前に宿題のアサインがあった。
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内容は第3章のものだ。
あいにくと正解画像を持ち合わせていないのでこの宿題の点数はあまり高いものではないだろうが、第4章以降は昨年の正解画像が使えるので、とりあえず宿題の提出が15%になるであろうことになりホッとしている。
おそらく次回の授業時にこの宿題できた人!みたいな募り方をするので、そこで速攻で前に出て板書すれば1点ゲット。
この1点を大きいとみるか、小さいとみるかはあるが、少なくとも塵も積もれば山となるで、毎回板書すれば宿題点15%の部分が満点になり、試験の点数が悪くても単位が取れる可能性が出てくる。
板書は要領よしお君がしゃしゃり出てくることがかなり予測されるため、真っ先に名乗り出ることが必要だ。
年には念を。こちらも念能力を習得してきたのだ。
これにより授業の内容は微塵も理解できないが、5.0点以上は取るぞと。単位は取るぞと。
実はこの考えはすべての科目に通ずる。
いままでは単位なんておまけ、授業の内容を理解してこそだ、と思っていたが、そんな考えがいかにアホ臭いもとい青臭いかをこの2年間で嫌というほど思い知らされた。
そう思うと授業の内容理解に意味があるのはベトナム語教室ぐらいなものだ。
各科目で5.0点以上取る→単位習得→学位取得、が目的であることを忘れてはならない。

Khóa học tiếng Việtとの出会い

そもそもKhóa học tiếng Việtに初めて行ったのはいつだったかな。
たしか本学の入試面接を受けた時に、合格したら入学までにここで勉強しておくといいよと言われたのが発端か。
今にして思えば、その発言をした人こそ最初の期で唯一単位をくれた、つまり本学で初単位をくれた、Lập trình nâng caoの担当の先生だったのだ。

そして面接が終わり、夫婦でこのKhóa học tiếng Việtに乗り込んだ。
ベトナム語はもう何年も勉強していたし、さすがに初級ってことはないだろと思っていたが、まさかの中級受講拒否。
これには愕然とした。
以後、ここに頼らず独学で勉強することを決めた。
しかし、なかなか時間的な余裕も体力的な余裕も、さらにはモチベーションもなく、結局本学の授業についていけないまま最初の期を終え、結局は中国正月明けの2018年3月ぐらいからだったろうか、ベトナム語の勉強を始めたのは。
実は2017年中にここでthi Chứng chỉ tiếng Việtを何度か受験し、いずれもA2ランクであった。
つまりこの時点で初級終了、すなわち中級受講可能なベトナム語の能力があったということになる。
2018年中は一回もこの試験を受けていないのでどのぐらい実力が向上したか客観的に知るすべはないが、少なくても2018年3月ぐらいから音読を始めたため、語彙、文法、発音、リスニングが一気に向上しているはずだ。
体感的には中級終了、すなわち上級受講可能なB2ぐらいまでは向上しているか、あわよくば上級クラスを半分ほど受講したC1と目論んでいる。
流石にどんなに悪くてもB1は行くだろう。それでも中級を半分ぐらい受講したレベルなので、当然中級の受講は可能だ。
今にして思えばA2の証明書を持っていれば中級の受講ができだだろうが、もうこうなったらそれでは面白くない。
いっそのこと上級クラスを半分ほど受講したのと同程度とされるC1を取ってから堂々と中級や上級を申し込もうではないか。

thi Chứng chỉ tiếng Việt1月度振り返りと目標

自分が受験したわけではないので振り返りも何もないのだが、客観的情報から。
2019年は1月に初回試験が行われた。
つまり、1月の人数=累計人数ということである。
最終受験番号が190123であったため、受験者は123名。
年々受験者が増えている。
今のところ最高でもB2までで、Cランクはパッと見はいなかった。
全部洗いざらい探せばいるかもしれないが。

さて、次回受験の目標。
Nghe 8
Đọc 8
Nói 7
Viết 7
総合 7.5
ランク C1(5/6)

ここで一番難しい科目はViếtだ。
日ごろから作文練習をしておこう。

Khóa học tiếng Việt中級クラスが実は開講していた?

今回から新カテゴリのKhóa học tiếng Việtだが、ご存知の通りこれは本学の話題ではない。一応Đại học Quốc gia TP.HCMに属しているけどね。
ひとまずそもそもなぜこの話題なのか、なぜ入ったのか、どんな内容なのかを書くべきではあるが、それはおいおい。
数年前、最初から中級コースを申し込もうとして断固拒否にあい、それ以来トラウマになっていた。
それは数年たった今でも変わらない。
今はまだベトナム語の能力を証明するものがないので、とりあえず次回のthi Chứng chỉ tiếng ViệtでB2かC1を取り、その証明書をもって受付にねじこみたい。
そんな折、「○○ちゃんが中級クラスの初回入ったってよ」という情報が駆け回り、その日はその話題で持ちきりだったが、自分はその人のことを知らない。同じ学校だけど顔だけ見たことあるぐらい。

しかし、授業日程表を何度も確認したが、中級の開講はなかった。
念のためその後も確認したが、やはり初級のみの開講となっていた。
日程表には載らない口コミレベルということか?
しかし、授業申込時に受付に聞かなかったことが悔やまれる。
もっとも、聞いたとして門前払いの可能性もあった。
なにより、中級は授業料が高いが、別に講師のベトナム語力に差があるわけでもなし。
しかも授業が始まる前に個別に質問してしまえば、中級だろうが上級だろうが関係ない。
そう思って自分の中で納得して初級2セメスターを申し込んだつもりであったが、やはり中級クラス開講の知らせには心中穏やかで入られない。

このような時に自分を納得させる手段を心理学的には合理化というらしいが、もっともらしい理由は上記の授業料と個別質問だろう。
さらに、クラス内の人間関係もある。
現在のクラスはエスカレーター式であるが、もともとの人間関係も悪くなく、持ち上がって新しいメンバーが加わってもその和やかさが継続され、人間関係は良いともいえる。
もし中級に入ったとして、そこの人間関係が悪かったら?
これは実際に入ってみないとわからないし、そもそも人間関係ってAさんにとっては居心地がよくてもBさんにとっては居心地が悪い、あるいはその逆というのが往々にしてあるので、自分にとってどうかはそれこそわからない。

いずれにしろ、自分は中級クラスに入りたかったという自分の正直な気持ちにはふたをしないでいたい。
それでいて、過去のトラウマ解消のためにも、まずはhi Chứng chỉ tiếng ViệtでB2かC1を取るようにしたい。
これで、学校側は中級クラスどころか上級クラスすら拒む理由はなくなる。
準備が整ったら、後は学校側に、「中級か上級クラスが開始する時期を教えてほしい、あるいは開始時に電話連絡が欲しい」と伝えればよいのではないだろうか。
なんだか機会損失のようで時間と労力が無駄になった、無駄になる悔しさもあるが、まずは日程表が完璧ではないということが分かったことは今後の大きな武器となろう。
ある意味、開講していない授業に参加するというのも念能力のなせる業かもしれない。

Xử lý ngôn ngữ tự nhiên2回目

2019年2月23日、Xử lý ngôn ngữ tự nhiênの2回目が開催。
この日は午前中いっぱいVNU-EPTのしかも初受験であったので丸1日潰れたことになる。
気になる内容だが3.2あたりから3.6までだったかな?

ここで、授業時間を利用してexerciseが行われた。
ここでアレっ?と思った人、正解。
昨年度はexerciseは宿題となっており、email提出だったはずだ。
なんと今年は授業中にその場でやらせ、できた人に板書させる方式に変わった。
つまり、今までは1週間の準備期間があったのだが、これでは期間ではなく準備時間だ。しかもたったの10分。
この問題をやるのに1年間の準備期間をかけ、作成に1週間を要したのに、準備と作成を合わせて10分でやるのは再履修者でも難しいのに、今年初めて受講した人にはまず無理だろう。

と、思ったらなんと要領よしお君が席を立ち、黒板に向かった。
彼は初回授業を欠席しており、今回が初出席。当然初見だ。
自分が1年かけてやっとわかったことをこの2時間の間に理解し、10分で作成したというのか。
結果、完全な正解ではなかったものの、90%はできていた。
これは、自分が作成した回答よりも正解に近いものであった。
つまり、
要領よしお君の2時間と10分 >>>>>>(超えられない壁)>>>>>> 自分の1年と1週間
ということである。
再履修者はもう1名おり、彼は遠距離通学なのだが、なぜか前から3番目に座っており、要領よしお君が遠距離通学君の回答を読んだわけではなさそうだ。
するとやはり考えられるのは念能力とか超能力の類だろう。

この場合、他人の思考を読むか、近い未来を見通せるかのどちらかが考えられる。
変化系や操作系というより特質系だろうか。
ただ、それであれば完全な正解が出せるわけだが、そうではなかった。
実はこの日の授業中に内容がすっきり理解できるような気分になったことがある。まるで自分が天才になったように。
要領よしお君の能力は実は放出系で、理解力をブーストさせるようなものではないだろうか。
そのブーストは半径2メートルくらいに及び、近くに座っていた自分もその恩恵に浴したということになる。
事実、彼の板書およびそれを先生が訂正したものはすっきり理解できた。
1年前にこの授業を受けたときは、正解を提示されてもなぜそうなるかは微塵も理解できず、ただその板書を撮影するのみであった。
いずれにしろ、放出系により理解力を大幅に上昇させるオーラを出しその余波を周囲の人が受けるか、あるいは変化系により彼の円の有効範囲内の人間の理解力をいい方に変化させる。
この能力にはどんな制約と誓約があるのかの含めて考えると面白いだろう。

さて、ここで本学とは別の話に飛ぶ。
よく東大で、「東大は勉強して入るところではない」などと言っている人を見かけるが、今までは嘘だと思っていた。
普通に考えれば、異常なまでの勉強をした人間が入るところであり、勉強をしない人間は入試に合格できないはずだ。
だが入学後は真面目組が苦労するのだという。逆じゃないか?
これも、念能力であればすっきり理解できる。
つまり異様な長時間拘束によって合格ではなく、AO入試裏口入学のような手段に近いチートのような方法があったと考えられる。
例えば、数か月後の未来を見通せれば翌年度の赤本も手に入れられるし、そうすればその内容を丸暗記すれば入試はほぼ満点。
株式投資なんかであれば翌日でいいので株価を知っていれば十分。

さらに話は飛ぶが、最近、朝洗濯物をだした(はず)なのに、なぜか帰宅すると部屋に洗濯物(もちろん選択していない)が、置いてあるということが2度ほどあった。
1回目の日のことはあまり明確に覚えていないが、2回目はつい最近なのでまだ記憶に新しい。
その日は時計を見たら7:50であり、まだ余裕だなと思っていたらいつの間にか8時を過ぎていた。
この空白の10分がまず不自然である。
さらに、その直前まで「洗濯物を出そう」と思っていたはずなのに、この10分が一瞬で飛び去ったことに気を取られたのか、結果として帰宅時にはそこにあったということだ。
しかも、家を出る瞬間には部屋には洗濯物はなかった。
正確には「視界には」なかった、つまり目には見えなかった、ということである。
幸い洗濯が1日遅れたことで命に関わるということではなく、どうしても当日したければ使用人ではなく自分でやるという方法も取れる。
ただ、この空白の10分と洗濯物が消える(見えなくなる?)現象は奇妙である。

本題に戻るが、この1年間授業を微塵も理解できなかったこと、要領よしお君がその授業を数時間で理解して問題がほぼ正解だったこと、空白の10分間、目に見えなくなる洗濯物、それぞれは単なる点でしかなかったが、線でつながってきた。
そう考えるとこの1年半、要領よしお君が授業中にゲームをしたりしているのに試験で高得点を取れるなど、不自然としか思えない点があった。
世間一般では超能力と呼ばれているものを、研究している人がいるのだ。

ここで意外なことに、自分にも念能力が使えるようになってきたことが分かる。
2017年度は単位習得率は極めで悪かったが、2018年度に入り単位習得率が100%とこれ以上ない結果となった。
今期も100%なら2018年度に登録したすべての単位を取得、年度全体の単位習得率も100%となる。
しかし、2017年度は相当に努力した。逆に2018年度はこれと言った努力もしていない。
さらに教師の日の課金もしていないことから、自分にも日の目を見る日が来たということだろうか。
ここで、自分の念能力は何か?と考えてみる。
制約としては最初の1年間はすべての努力が空回り、「何の成果も得られませんでした」
しかし、1年を過ぎたあたりから結果が努力を上回るようになる。
変化系の能力で、目の前に見えない橋を作ってくれるようなイメージだ。
その橋を進んでいけば目的地に到達する。単位取得という名の。
能力名は何だろうか。
最近ドラクエ3をやって、夢見るルビーを取ったらすぐアッサラームに行き、簡単にレベル99にしたり、アイテムを入手したりできる方法をやりこんで遊んでいて、この裏技を30年前に知ってたらなぁと思ったので、橋を架けるという意味では「虹のしずく」と書いてそれらしい読み方をするのが面白そうだ。